新型コロナウイルス感染症について

安藤恒平医師
2011年3月より国境なき医師団(MSF)を通して人道援助活動に参加。
2017年4月より貢川整形外科病院に勤務
2018年12月よりMSFから中東パレスチナ自治区ガザ地区へ約1か月派遣
2020年12月退職
2021年1月より産業医科大学救急科に勤務

日本外科学会専門医、日本整形外科学会専門医

 

2017年4月2021年12月までの約4年間、貢川整形外科病院に勤めていた。現在は、親の様子を見るのと、研究活動を行うために、九州に戻ってきている。私は外傷外科医だ。
きっかけは、脊椎の診療ができる様になりたいという想いからだった。外傷外科医が、“これは私にはできません”、と言えるほど、世の中そんなに甘くない。今の日本では、誰かにお願いすることは容易であるけれども、自然環境も社会環境も、いつ急変してもおかしくはない。高度な医療現場は、社会の繊細なバランスの上に成り立っている。
池上院長にお会いし、最初に言われたのは「貢川でやれば、2年で一般的な脊椎の診療ができる様になる」とうことであった。
初めて参加した手術前カンファレンスでは、話している内容が全く頭に入ってこなかった。短時間に多くのディスカッションを行っているのだな、としか解らなかった。プレゼンテーションも、それに続く討論も、身体的なものから社会背景に至るまで、全てを考慮して行われるのだが、早くてついていけない。脊椎だけでなく、関節や外傷も加わる。そして血管外科の話まで出てくる。
当初は、院長に張り付いての診療であった。分刻みの荒波のような忙しさではあるが、患者さんに説明するときは時間をかけていた。神経生理学的検査も院長自ら行い、手術治療が必要な方の全てを把握されていた。その間に、私への講義も行ってくださった。
手術前の医学的評価は、麻酔科と術前外来チームに担われ、全て情報は共有された。病棟は明るく風通しが良く、病棟看護師に尋ねれば患者さんの全てがわかるだけでなく、退院後の計画までなされていた。医師は必要十分な医学的情報を看護師に伝える程度であった。薬剤部は病棟で使われる薬品について、いつもリードしていた。昼の検食も楽しみであった。
手術後であるため、状況は数時間で変わる場合もあるが、そんな時の対応も早かった。事務的な調整も迅速で、連絡も滞りなかった。病院全体で一つの生き物のように対応していた。
半年もしてくると、ディスカッションの内容も解る様になっていた。手術治療でも、先輩医師達は、普通には揃わないだろうと思えるほど、腕の良い医師たちばかり。驚きのレベルである。手術室スタッフも、必要な事前準備から、手術機械の詳細、今回の手術のプランから、患者さんの背景まで熟知していた。医師のその日の予定まで把握し、臨機応変に沢山の手術予定が日々消化されていった。MRIは一日中撮影を続け、脊髄造影検査も外来診療の間で行えるよう整然と準備されていた。放射線技師との息のあった撮影も気持ちがいい。自然と理学療法室へ足が向かう。理学療法中の患者さんを交えて、理学療法士と現場の把握と今後の方針について話すことは非常に有意義であった。また、AI コンピュータービジョンを用いた評価など、先進性にも優れていた。
この様な環境であったので、私の診療技術が身につかないはずがない。気づけば、カンファレンスは、学ぶ場所というよりも検討する場になっていた。手術治療は性に合っているので、脊椎も従来的な方法から、低侵襲なものまで幅広く自由に扱わせて頂き、人工関節から関節鏡手術まで、患者さんにとって最良の方法が選択され提供し、水を得た魚のように診療に従事することができた。考えてみれば、貢川に来る前は、関節や脊椎の診療は、診察して診断するところまでで、その後の治療は自分で決められず、環境に左右されることが多かったものだと思い出される。
脊椎は、治療しても良くならない、かえって悪くなるなどと耳にする。もちろん、貢川で経験するまでは、私も何もわかっていなかった。また、人には制御し得ない、人体に起因する事象により、予想には至らない結果になることは、脊椎のみならず、すべての医療現場で遭遇するものである。「医師は神ではない」と、池上院長はよく口にされていた。
脊椎や関節の疾患を患う方が、今後どの様な経過を辿るのか、想像がつく様になった。本来必要な脊椎の柔軟性は、固定によって損なわれてしまうために、それに伴う今後の問題も、承知できた。しかし、そうしなければ防げない、間も無く顕在化してくる大変な問題がその病気の中にあることがわかっているので、その治療が選択されていた。
外傷の範囲を超えているかもしれないが、特に身体を酷使して、後年訪れる不調に対して、今できる最適な方法を提供できる様に、また一歩踏み出せたことは、医療者として大変な糧であると思う。
貢川整形外科では、学会への参加、海外への出張派遣など、勤務外の医療活動を大いに推奨してくれている。そこで得られた知見を、皆で話し合った。医療だけでなく、国内国際社会についても、深く話せる場でもあった。海外派遣へ行く際にも、引き継ぎに躊躇することもなく、快く送り出していただけありがたかった。また、帰国時の復職に際しても、出発前と同じく、そこに留まっていたかの様に、自然に復帰できたのも、一重に病院全体でサポート頂けたからに他ならない。病院に診療を受けに来られる方々との再会も楽しかった。
現在なお、貢川整形外科病院との交流は続いている。離れているのに話題は絶えない。一般外科医が外傷外科、整形外科を学ぶ場としても、私はこれ以上ないと思っている。整形外科専門医のアレンジも頂き、この4年間で取得するに至った。
日常の風景に富士山があり、足を伸ばせば八ヶ岳や南アルプスの自然に浸れる。診療業務は夕方早くには終えてしまい、土日は自由に過す。
今後も、海外での医療人道援助活動などといった活動に取り組む医療者の基地病院として、アシストしてくれるとのこと。社会への貢献、その可能性に挑戦されている方は、貢川の門を叩いてみてはいかがだろう。